近づいた唇そらし 苦笑い 覗きしものは 夜半の月かな
月の視線に決意が揺らぐ。凛とした光は、あの人さえも幻影に変え、長い長い夜の終わりを告げた。
文末は小倉百人一首の紫式部の歌から引用しました。いにしえの歌人達も月に関する歌をたくさん遺しています。文明が夜を昼のごとく照らしても尚、月光に対する畏怖を抱くのは人類の本能だと思えるのです。
顔見知り 友達以上 エキストラ 2人を描く白い脚本
沈黙に押されて幕が開く。たった2人の登場人物。監督も演出も必要ない。君がくれる役は何なの?
人間の数だけ物語があります。ある人の中では悪役でも別の人の視点では正義の味方になるかもしれません。こんな自分も誰かの描くドラマの中で主演女優になれるのでしょうか。
まだ君はあの日のままの 未成年 思い出はなぜ 齢をとらない
ビールの苦さ、受動喫煙、理不尽な社会―大人の汚さから逃げるように、君のカタチは成長を止めた。
サザエさんやドラえもん。永遠に歳をとらないキャラクターのように、思い出の中の人は大人になんかならないのです。つくり笑顔と社交辞令に慣れてしまった私は、確実に老化しているのに・・・。
8月に 秋の訪れ宣言し 古い暦は何を急ぐの
太陽と月。二つの周期が微妙に主張するから、違和感を黙認しながら季節が巡り行くのであろう。
夏の盛り、カレンダーに刻まれた「立秋」の文字。太陰暦と太陽暦、とっくに入れ替わったつもりなのに私たちはまだまだ混乱しているような気さえしてしまいます。
立ちのぼる 煙に我を重ねけり 世を吹く風に 消され散る様
小さな白竜みたいに、確かに目に見えたのに、やがて消されてただの空間になってしまう。空に届くこともなく
香をたく時、無意識に煙を目で追ってしまいます。誰もがこの煙のように上へ上へと高い向上心を持っていたはずなのに、いつの間にか消失している―いえ、ただ見えないだけでしょうか。火種は決して消えていないのだから。
橋殿を背に 咲き誇る睡蓮の 色うつりけり 梅雨の晴れ間に
門を潜ると同時に時を越えた。ここは、この庭園は今であって今ではない。異空間という極楽浄土なり。
6月初旬、平安神宮の神苑を訪れたときに詠んだ歌です。平安時代さながらの橋殿を背景に水面に浮かぶ睡蓮は、それはもう幻想的でした。極楽に行けるならきっとこんな感じの風景なのでしょうね。
はつ恋も 二度目も今も 始まりは そらす視線に 映る指先
あまりにも優しく、なぜか鋭い君の瞳。目を合わせたらもう、隠せない、動けない、きっと逃げられない。
好きな人と嫌いな人、両者とも目を見て話せない私。理由は簡単です。自身の胸の内を知られたくないから。そんな訳で、無意味に相手の手先などを観察してしまう、悪い癖なのです。
引力に任せて落ちる 涙など もう自分では 制御できない
川の流れも、滝の勢いも、引力あればこそ。涙も然り、自然に任せよう。いつか乾いて消えるまで。
泣くことを忘れたら人間はきっと壊れてしまうと思います。笑顔が一番だけど、悲しみ、怒り・・・マイナスの感情も否定してはいけないのです。人間として生きている限りは。
空白の いつものバスの君の席 夏休みなど なくなればいい
少し伸びた黒髪、眩しいほどに白い夏服。二つの色を失って、空席だらけのバスは無意味に各駅停車する。
いつもいる人がいないだけで、こんなにも風景が変わるものだと気付きました。その存在感の大きさが喪失感に比例して、なんとなく窓の外を眺めてやり過ごした―遠い夏の記憶でした。
夏空がいわし雲抱く 境界線 碧き記憶は 持ちこみ禁止
夏と秋の境目に立つ。ここから先に進むなら、戻らぬ思い出を全て置き去りにしよう。
時として邪魔になるのは古い季節の思い出なのです。半袖をたたみ、扇風機は埃を被る前に片付ける。風鈴をいつまでもぶら下げておくと、切ない思い出が蘇ってしまいそうで・・・。